ノアが退室した後の医務室はがらんとしていて、何だか冷たい風が通っていくのを肌で感じる。医務室の先生はちょうど不在だったのか、室内にはベルティアだけが取り残された。
「国外に追放されたあとは、どうなるんだろう……」
悪役令息・ベルティアのその後は本編では描かれていなかった。『ベルティア・レイクの幸福』ではクリア条件を達成できなかったのでトゥルーエンドは知らないままだ。
全員の好感度を0%にすると卒業パーティーを待たずにクリアと記載があったが、それができないと自動的に卒業パーティーの断罪ルートに進むらしい。
ただ、現実的に考えて全員の好感度を0%にするのは不可能にも近いので、大体が断罪ルートになるだろうけれど、こちらも達成していないのでベルティアがその後どうなるのかは未知である。
「国外追放されて、平民になって、慎ましく暮らす……まぁ、今とあんまり変わらないかも」
国外追放されたらベルティアのことを知る者はいないので、今の状況のように後ろ指をさされることはなくなるだろう。そう考えると確かに『ベルティア・レイクの幸福』なのかもしれない。
「失礼いたします。馬車が参りましたので、寮までお送りいたします」
ノアに言われたので仕方なく馬車が到着するのを待っていると、しばらくして医務室のドアが開いた。ドアの向こうから現れたのはノアの側近であるレオナルド・ヴィステリアで、ベッドの上で膝を抱えているベルティアを冷たい目で見つめている。
そんなレオナルドの視線にも慣れっこだ。この学園、いや、この国でベルティアのことを特別視しているのはノアくらいなのだから。
「お手を煩わせてすみません」
「いえ、殿下のご命令ですから」
すんっと澄ました顔でベルティアを馬車まで案内するレオナルドの背中からは『本当にいい迷惑だ』と聞こえてくるようで、ベルティアは苦笑した。彼は表情がないように見えて意外と分かりやすい。
「それでは、失礼します。殿下によろしくお伝えください」
「……できることならば、ノア殿下を誑かさないでいただきたく思います」
「え?」
馬車に乗り込む前にもう一度謝罪をしようとしたベルティアに、レオナルドは眉間に皺を寄せて冷たい言葉を浴びせた。もしも彼が攻略対象者の一人であれば、頭上に表示される好感度はマイナス50%くらいだろう。それほど、レオナルドからは嫌われているのを自覚している。
「聖なる瞳のセナ様からのご挨拶を無視し、殿下の気を引くために倒れたのだと生徒たちが噂しています。本当にその意図があるのなら、やめてください」
王族の側近には誰でもなれるものではない。それ相応の身分が必要で、レオナルドは男爵家出身のベルティアよりも身分が高いのだ。それにノアとレオナルドは乳兄弟ということもあり、彼はノアに対しての忠誠心が人一倍強い。
主君が道を踏み外そうとしたら元の道《ルート》に戻すのが、側近である彼の役目。むしろ今のベルティアにとっては『そうしてもらわないと困る』のだ。
「ノア殿下とセナ様のご婚約のお話が出ています」
「……」
「なので昔馴染みと言って男爵家の令息に目をかけているというスキャンダルは、殿下の未来にも関わるのです」
「分かります。俺も同じ気持ちですから」
馬車に乗り込むベルティアがポツリと呟くと、予想外の返答だったのかレオナルドは少し目を見開いて驚いた顔をしていた。
ノアと知り合って10年ほど経つのでレオナルドともそれくらいの仲だが、彼が驚いている顔は初めて見るかもしれない。鳩が豆鉄砲を喰らった時のような顔をするものだから、ベルティアは小さく笑った。
「俺だけでは無理かもしれないので、頼りにしてます」
「は……」
「お時間を取らせてすみません。それでは」
馬車に乗り込むと、レオナルドはそれ以上何も言わずに扉を閉める。ゆっくりと動き出した馬車の揺れを感じながら目を閉じて、ふぅ、と短く息を吐き出した。
「……好かれるのも大変だけど、嫌われるのも大変だ」
人間の心理として、嫌われるのは心がすり減っていく。精神的にかなり削られる行動をこれから必死に頑張らないといけないので、今から疲れていたら身がもたない。
「まず、攻略対象者の把握……」
一人目、グラネージュ王国の王太子であるノア・ムーングレイ。ベルティアと結ばれると王国を破滅に導く闇堕ちキャラに路線変更し、ベルティアを監禁する。
二人目、ノアの弟であるライナス・ムーングレイ。ベルティアと結ばれると嫉妬に狂った兄に殺されるらしい。
三人目、ベルティアの幼馴染であるジェイド・ベドガー。ベルティアと結ばれるとノアや本編の主人公を殺し、国を追われる羽目になる。
四人目、本編主人公の秘密の幼馴染であるオリヴィア・ローズウッド。ゲームの中で唯一の女性キャラのアルファだ。彼女はベルティアのことをひどく嫌っていたので、主人公のために邪魔者であるベルティアを自身と結婚させ、後々ベルティアを事故に見せかけて殺害。未亡人となったオリヴィアを気の毒に思った主人公は彼女を信頼できる侍女として生涯側に仕えさせる。
前世のベルティアは全攻略対象者のルートをプレイしたわけではないが、他のプレイヤーや妹から共有された簡易的な情報だけは知っている。
そして主人公は聖なる瞳、いわゆる千里眼を持っていて、攻略対象者たちがベルティアと結ばれ狂う未来を変えようとしていた、というのがダウンロードコンテンツ内で明らかになった。そのため、攻略対象者たちの心を開き、主人公に惹かれていくのだ。
聖なる瞳は国の未来を見抜き、導く力がある。なので大体は王族と結婚をして政治に関わっていくのだ。聖なる瞳の力を持つ者は自国だけではなく他国からも欲しいと言われるくらいの逸材で、簡単にいえば選び放題。なので、王太子であるノアとの婚約の話が持ち上がるのは何ら不思議ではない。
「俺は人を恋愛狂いにする魔性の男かっての」
ハハっと乾いた笑みをもらして自嘲したが、あながち間違いでもない。これもダウンロードコンテンツで初めて明らかになったことだが、ベルティアの出生に関係があることだ。
「失礼します。寮に到着いたしました」
「あ、すみません…ありがとうございました」
誰もいない寮の自室に帰るとベルティアはぼふりとベッドに倒れ込む。前世の記憶を思い出したせいなのか、まだ痛む頭を柔らかい枕に埋めて何度目か分からないため息をもらした。
「セナ・フェルローネ……」
名前に聞き覚えはある。確か、ゲームの主人公の初期設定の名前だ。彼の外見はゲームと同じで、まるで王宮の庭園に咲いているホーリー・ローズを思わせるハニーピンクの髪の毛に、光り輝く金色の瞳。ただ、セナの瞳の金色とノアの瞳の色は全く違った。
ゲームでは細かい違いは分からなかったけれど、セナの瞳のほうが温かみのある金色で何より虹彩が虹色に変化するように見えた。あの色こそが『聖なる瞳』の特徴なのだろう。
「……可愛かったな」
主人公ということもあり、完璧な容姿とスタイル。人当たりの良さそうな笑顔に、柔らかい声。
ベルティアはベッドから起き上がり、壁に飾ってある鏡の前に立ってみる。そこには、襟足が少し長いダークブロンドの髪の毛に、澄んだ空のような色ではなく嵐が去ったあとの濁った海ような青い瞳、極め付けに目元が吊り上がったいかにも悪役っぽい顔が映っていた。
体格はよくないが身長はそれなりにあるし、セナと比べれば男っぽい顔立ち。昔は女の子に間違われたこともあるけれど、今ではみる影もない。
ベルティアは主人公のセナとは違ってアルファなので子供は産めないし、世継ぎを作って家の存続をしていく長男という立場。そんな『男』を、よくノアは飽きもせず10年も好きだと言い続けられるものだなと呆れてしまった。
「好感度90%スタートって、ハードモードじゃん」
あとたった半年で好感度を0%にするなんて、とんだ無理ゲーである。それでも未来のために手段は選んでられないのだ。
前世の自分の姿とは似ても似つかない『ベルティア』の姿を見つめていると、自室のドアが控えめにノックされる音がした。